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【10年前を振り返る】東日本大震災を今日ようやく伝える 2011年3月11日

Si-Ha-(しーはー)!!

七ヶ霜 椎ノ(ながしも しいの)です

 

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本日は東日本大震災からちょうど10年になりました

ついにこの時が来ることになるとはよく生きたものだと思います

実際私自身もかなり近いところに住んでいて

地震の恐ろしさを経験しているので

こうして後世に伝わるといいなと思い綴ります

 

前回の記事で「冬投稿予定」とおっしゃいましたが

ほぼ東日本大震災からその直後あたりを話すつもりだったので

書く内容は予定通りのものになります

 

まず、初めて読む方に

書くことを決意した理由をお伝えします

 

昨年ある出来事があって、

10年前に部活を退部した時と同じくらい絶望的だなと思い、

号泣しながらまた同じ悲劇を繰り返したくないと

釘を刺すために書くことに決めました

 

以降は、天体アトリエ誕生&CGクリエイターを

目指すことになったきっかけまでの

私のリアルの出来事を10年過ぎる頃にに書くことにしたのです

 

 今回で第5弾になります

これまでの記事はこの記事の最後にURLがございますのでそちらをご覧ください

 

 

3月11日 昼頃

学校も卒業シーズンとなりいつもより早い下校で浮かれて

この日も私は友人と遊ぶ約束をして出かけていた

昨年の秋ごろから心の中にある闇は半分ほど消えており

孤独の時間はあの頃よりは減ってきている

 

ちょうど4人集まって友人の家で遊ぶ事になっていたので

ゲームで遊ぶことは決まっていたけど……

 

「ねー、なんか遊べるゲーム無いの?」

「うちWiiなんてないからな……」

と話しているところを私が

 

「なら、スマブラやらない?WiiWiiリモコン4人分あるし持って来るよ」

と提案した

 

すると

「わかった」

「それまで何するかー」

「暇だねー、それもお前の家にWii無いからじゃん」

「うっせえわ」

とみんなは納得して、私はこの家から出た

 

友人の家の前にある列になっている自転車の中から

自分の自転車を見つけてサドルに跨ると―――

 

ガシャガシャガシャ!!

いきなり窓ガラスが大きな音を立てたので

どこかで工事しているのか、または風が強くなったのかと思った

 

にしては、工事看板は近くに無いし風もそんなに強くないし……

おかしいと思ったので自転車から降りたら、

足元から全身にかけて大きく震え上がった

 

しばらくおさまらないので建物に囲まれた場所は危険だから

近くにある公園を目指して走った

 

なんとか転ばずに着いて地震が終わるまで待った

これが賢明な判断だったかどうかはさておき

周囲に被害が無いまま無事におさまった

 

でも、ここまで強い地震が起こるとは

未知すぎて恐怖だった

 

一旦何があったのかすぐに知りたくて

友人の家に戻った

すると3人がテレビを囲んでいた

「何があったの!?」

「しーのん無事だったんだ」

「これ見てよ」

 

テレビに映っていたのは

画面の一部を情報がL字に覆いつくし

どこかの空中から撮影した地域が濁流に飲み込まれるような地獄絵図だった

 

震源は太平洋沖で一番近い宮城からそこまで離れていないかった

バツ印の上に書いてあった数字は「8」を超えていた

 

確かにこの辺の揺れも凄かったが

東北はさらに揺れていたということになる

 

もし、この辺が「震度8」だったらと思うと……

「じゃあ、Wii取ってくる」

と、自宅に戻った

 

自分の家のリビングも友人の家と同じく物はそこまで散らかっていなかったが

自室が気になって見に行った

 

すると、高い棚に置いてあったものが異常なほど散乱していた

それはそうだ、ほとんど片付けしないきょーだいさんの物ばっかだし

その他机とかは無事だった

 

あんな風に最初は思っていたけど

自宅を離れて再び友人の家に向かっている最中になって

あの地震の脅威をここで改めて思い知らされる

「普段の地震だと倒れるわけがないのに……」

 

この当日は地震の恐怖から逃げるかのように

揺れていながらも友人の家で夜になるまで遊び尽くした

 

 

だが大きな余震は1ヶ月近くまで続き―――

 

地震の恐怖に耐えるために定期的に友人と遊んでは

家に帰るとほぼ真っ暗で砂嵐交じりのラジオだけが鳴り響く

 

そう、停電だった

被災地にしては軽い方だと思っても

油断はまったくもってできなかったのだ

たまに風呂に入る時間が夜遅くになったり

食事が弁当やインスタント系ばかりになることだってあった

 

たまにあの日くらい強い地震が起こって

自分の家が壊れそうだと思うことも何度もあった

 

学校行事でいえば「卒業式」や「入学式」も

震災の話が入り、余震に襲われては中断してなかなか式が進まなかった

完全に通夜と化していていつもより盛り上がりに欠けた

 

アルバイト先でも震災の話になると

商品が大幅に散らかっていてパニックになっていたという話も聞いた

 

 

あの震災によって自分自身も変わってしまったことがある

 

たまに地震が起こっているのではないのかと

実際は揺れていないのに揺れているように感じるようになって

ちょっとした地面の揺れにも敏感になった

 

さらにあの地震があったことで

自分の物を置いている位置も気にするようになった

今なんかパソコンはバッグにしまえるノートしか買わないし

液タブも必ず画面を袋で覆って安全な場所に避難させてるから

 

これが私が体験した東日本大震災

 

 

当時から「はてなダイアリー」はやっていたんですけど

まだ本気になれる趣味も無い学生だったもので

しかも、昨年の夏から2014年の夏あたりまで書いてた

「天体アトリエ」もアカウント自体削除してしまったので

残せていなかったんですね

 

でも、ちょうど10年になったので

うろ覚えながらも残っていることは忘れる前に書くべきと思ったので

ここまで鮮明に書けて良かったです

 

岩手・宮城・福島のように大きな被害を受けたところは

大きくニュースで取り上げると思いますが

私たちのような被害が少ない地域でも近ければ

苦しい思いをする可能性があるということを伝えたかったんですね

 

停電するし、液状化で地盤がくずれるし、

下手したら家が傾いている可能性だってあるかもしれないし――

って

 

私の地域は「南海トラフ」や「首都直下」で

さらに被害を受ける可能性があるし

最近は地震だけじゃなくて

地球温暖化の影響で台風による被害もすさまじいので

伝えられることはこうして

真っ先に伝えるべきなんだなと思いました

 

新型コロナウイルスについても大きな厄災だし

今となっては多くの人々がスマホの普及により

SNSで投稿しているのでより鮮明に残ると思いますが

遠い未来になるかもしれませんが新型コロナウイルスよりも

酷いウイルスに対抗するための糧として大事なことですね

 

次回はおそらく今年の夏になると思います

ようやく当時の「天体アトリエ」創立と

板タブデビューの回になりますので

記憶が鮮明に残っている限りは―――

 

これまでの【10年前を振り返る】シリーズになります

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